「22時の催眠術」
僕はバンドマンのくせに早寝早起きが習慣になっている。情けない話だ
が夜十時を過ぎた辺りからそわそわしてくる。せっかく家に友人が遊び
に来てくれても、やっぱりその時間になれば、なんとか帰ってもらえる
よう心の中で念仏を唱え始める。それでも腰の重いお客が居座るならば、
テレビのチャンネルをNHKに合わせたり、洗い物を始めたり、あの手こ
の手と策をめぐらすのである。
僕は幼少の頃、毎晩十時近くになると、「早く寝んな、お化けでるぞ」
「歯磨くよ、お化けでっろ」と脅かされ、無理矢理寝かせられていた。
まあ、いつもの事だったし、父、母に挟まれて寝ていたので、さほど怖
くもなかった。
そんなある日、母が町内婦人会の旅行に行ってしまい、父と二人で寝る
事に。僕はなぜだか興奮して、なかなか寝つく事が出来ずにいた。もう
じき時計の針は十時を回ろうとしている。布団にもぐり、父と一緒にテ
レビを見ていたが、内心はそろそろ寝なきゃやばいぞ、と思い始めてい
た。そんな矢先、トイレから戻って来た父が、まじめな顔をしてこんな
事を口にした。
「今階段の下から、獅子丸がこっちを覗いとった」
…シシマル?なんじゃそりゃ。神社におるあれか?僕は小便をちびりそ
うになった。すると、恐怖におびえる様子をおもしろがった父は、さら
にこう続けた。
「腹減っとるから、十一時までに寝ないと襲いに来るって」
食われる、確実に。僕は必死に目をつぶった。だが、そんな恐怖の中で
寝られるはずもなく、隣から、父の寝息が聞こえ出したと同時に、僕は
観念し、泣き出してしまった。そして、笑いながら冗談だと謝る父を、
泣きながら責めたのだった。幼い頃の記憶としては、割と鮮明に覚えて
いる。
先日、石川の実家に帰った際、丁度甥っ子が遊びに来ていた。余程楽し
かったらしく、夜十時を過ぎても、帰りたくないと駄々をこねていた。
ついに、業を煮やした父が、トイレから帰って来るなり甥っ子を脅かし
た。
「ほら、早よ帰らな。ナマハゲくるぞ!」
これは二十年数前と同じ手口ではないか。確かに、父の頭はかなり薄い
ので、「ナマのハゲ」に違いないのだが。
丸刈りの甥っ子は泣きじゃくっていたけど、僕は何だか嬉しくなった。
父は二十数年前の獅子丸襲来事件を覚えているのだろうか。
